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  整備の職場に関する投稿記事を掲載しています。ライン、ドック、ショップ、ローカルからの投稿記事をお待ちしています。


北国の整備士から一言 2024年3月30日

北国の整備士から一言

  もうすぐ春ですね。いや、春になりました。

北国の春はもう少し先。たまに除雪もある。

機体のトラブル発生のため、離陸前の翼にまいた防除雪氷液の有効持ち時間(ホールドオーバータイム)が切れてしまい、もう一回除氷が必要になり、時には、欠航になることもあり、事後対応に追われる現場は大変だ。

 

 しかし、コロナ後、急速な旅客回復による職場の繁忙の上に、シニアの退職と若者の離職もあり、人員不足は極まっている。

 

 先日、新千歳空港の近くにある「日本航空高等学校 北海道」が今年4月に開校した。

学校法人航空学園が設立、同法人の日本航空大学校 航空整備科(3年制)への内部進学ができ、「高・専 一貫教育で航空会社への就職率100% 航空従事者への近道」とPRしていた。

 

  これまで航空分野のPRと言えば、パイロットやCAが多く、航空整備士は少なかった。それが、コロナ禍を経て、航空整備士になりたい若者が少なくなり、各種航空専門学校では入学者を集める為に航空会社の協力を受け、地方の空港では、進学予定の高校生やその保護者に対してイベントや「魅力」説明を行っている。

それを一歩すすめ高校に入る若いうちに人材を求めようという狙いがみえる。

 

 日本航空技術協会と連携し、ANAHD および JALEC は、航空従事者指定養成施設等における航空整備士養成課程の学生に対して、無利子貸与型の奨学金制度「航空整備士育成支援プログラム」を創設した。さきほどの日本航空大学校もこの対象となるそうだが、ANA グループの航空機整備会社あるいはJALECに入社し、国家資格取得など条件を満たしたものだけが返済が免除されるという。

 ちなみに、「日本航空大学校 北海道」20243月卒業生の内、航空整備科の方はANAラインメンテナンステクニクス()8名 ANAベースメンテナンステクニクス()5名 ANAエンジンテクニクス()2名 ()JALエンジニアリング7名 との事。(学校HPから)

 

 日本中にある航空整備士養成専門学校卒業生の中で、JALANA、 あるいはその関係に入れるのは、十分の一程度とのこと。せっかく卒業までに航空整備士の勉学に励んでも、学生の多くは飛行機に関わる仕事に就けていない現状があるらしい。

 

 

 航空会社に就職できると期待した多くの人の希望が叶わないとは。航空の次世代を担える若者がいるのに大きな損失ではないか、と、つくづく思う。

【ローカルの職場】2024/01/16

緊急事態とローカル空港

1月2日、羽田空港、滑走路に進入した海保機へJAL着陸機が衝突するという衝撃的な事故が起こりました。事故原因の科学的な究明と、二度と起きないためのしっかりした対策が待たれます。お亡くなりになった海保機の5名のご冥福をお祈りします。

 

この事例を機にローカル空港の整備士だった者から思うことを投稿します。

 

今回の衝突事故は羽田空港でしたが、緊急事態発生がローカル空港には発生しないという保証はどこにもないということです。

 

地方空港においては、運航会社の「航空従事者」と言われる人は、わずかな運航管理者と数少ない航空整備士ぐらいしかいません。赴任してわかることは、空港業務全般について、精通していることが求められることでした。とりわけ、緊急事態への体制つくりと対応は重要であること、空港全般について知識を深めることを痛感しました。

 

非常事態の対応は現役の時、整備は搭乗客の避難、誘導が決められていただけでした。

非常事態の形態と言っても沢山有り個々の対応は本人任せが実状でした。

千歳にいた方からの話では、大規模訓練は12年いて一回のみだったそうです。テント張とトリアージタグでお客様の被害程度を決める作業でした。

訓練の分担と連携は本当に大切です。

 ちよっと視点は違いますが、専門家であり数少ない航空従事者である航空整備士は、整備専門会社という別会社ではなく、全員が運航会社に所属して、待遇面の保証が必要なのでは、と、あらためて思い直しています。

 

 

事例はいくつもありますが、胸が痛くなったことを一つ紹介します。

 

2019110日午前220分ごろ、ロサンゼルス発羽田行き全日空105便で、新千歳空港の東南東約980キロを飛行中、50代の女性客室乗務員が、頭痛による体調不良を訴え、容体が悪化。緊急事態を宣言し、午前440分ごろ、羽田空港に着陸後、病院に救急搬送されましたが、間に合わずくも膜下出血で死亡しました。

機長は、被災者の重篤な状態を認識し、一刻も早い救急救命措置が必要と判断し、最寄りの空港である新千歳空港は国内の基幹空港のひとつであり、24時間運用の空港であって、救急救命体制も整っているものと理解し、管制との連絡を取り、緊急着陸を千歳に変更しました。ところが新千歳空港に接近し、高度約1万フィートまで降下した着陸直前の段階で、新千歳空港は、実際には、早朝・深夜の時間帯には、航空機が着陸したあと、航空機のドアに接続する機材を取り付け、救急搬送を可能とする準備が、当時の時間帯では出来ないと、新千歳空港の管制から「降りるのは可能ですが、スタッフが来るまで、地上で待機せざるを得ない状況です。」「どれだけ待つかわからない。」という連絡を受け、千歳へのダイバートを断念して、再び羽田への着陸に変更して、羽田空港に向かいました。この迂回により、羽田空港への着陸が、当初の予定よりもおよそ50分遅れました。

 例え、ローカル空港であっても緊急体制があれば、と、多くの疑問が残る事例です。

 この事案については、会社の労災申請はなく、遺族の労災申請は却下され、現在、再審査請求中です。

 

 

 by OB MK

                             以上

 

追伸です。

 

今回の羽田空港衝突事故の件では、

RWSLRunway Status Lights) という、滑走路の横断や滑走路からの離陸が不安全であるかどうかをパイロットや地上走行車両の運転手に情報提供するための全自動表示があること知りました。その機能がどのようなものかこれから学んでみたいと思います。

 

 機内での病人発生の件では、

メドリンクサービス(MedLink Service)というものがあり、緊急の救命医療が必要な際、機内に医師がいない場合、地上で24時間待機している医師とやり取りして、助言を受けることができる通信システムがあることなど、今回、初めて知ったことがいくつもあります。

 

 注:写真と文章は関係ありません。

 

 

【ローカルの職場】2023/12/10

投稿 組合員の大半が女性、ローカルは出向整備士のみ!

ANA労組のローカルは、LTC出向の整備のオジサンがわずかにいるだけ。自前で職場討議が出来ない状態になっているとの事。そういえば、労組年度方針には、地域連絡会は解消と書いてあったのを思い出した。そういうことなので、旅客などグラハンの組合が中心となって行っている合同ミーティング?に、くっついて参加しているとのこと。 イベントやレクレーションがほとんどだが、たまにお誘いもあり楽しい、との事。

 

確かに、気が付いたら整備さんの働き手の多くは整備専門会社の方がたに変わってしまった。整備専門会社の方々は別の組合なので、そこに出向しているANA労組の整備さんはだんだん「弱小」になるのは当たり前?かもしれない。マイナーとなりつつある出向者をけっして取り残さない。「組合員一人ひとりの声を活動の原点に」と組合綱領に書いてあったことを思い出す。

一方、ANA労組の80%は女性、客室乗務員は約70%だとか。組合役員の比率もそうかと言えば、どうでしょう? ジェンダー平等の観点、あるいは、これも組合綱領に書いてある「組合の自主的な運営を守るとともに、自由にして民主的な組合~」の観点から、見つめなおしてみたい。

 

by OB MK

【ローカルの職場】

投稿 成田  続々編 2023/10/04

 全日空成田メンテナンスセンターが廃止、ドック部門が全面別会社にされたのは 2006年7月でした。 

 

・「『原則3年の出向期間はどう守るのか?』『元の職場がなくなった今、不安だけが残る』『東京のANA機体センターだってどうなるか』『モチベーションが保てない』『結局、自分をごまかしながら働くしかない』などの気持ちを持ったまま、半分のひとが別会社に出向となりました。整備品質、安全を維持するためには、整備士、出向者の声や気持ちにこたえる具体策を早急に示すことを訴えます。」

・「週40時間、残業も日常可能、午前2時までのスライドS、長時間の夜勤が(別会社に)あり、『賃金など労働条件の差は話題にしないでほしい。』との忠告が出向者にされた。チームワーク、職場の輪が整備職場の重要な要素であり、グループ企業の労働条件改善が必要ではないでしょうか。」と。職場は、出向者78名、別会社117名、契約社員17名、パート10名、嘱託4名、その他6名、様々な雇用形態になりました。(2006年8月)

当時の様子が職場新聞にはこのようなことが書かれていました。

 

 翌月の2006年8月、今度は、ライン部門に、羽田は2007年、伊丹・関西・名古屋は体制が整い次第、成田は2010年イメージ、その他は2015年、当初、700名規模の整備会社を設立するということが職場に報告され、実行されていきました。

 

 2003年までは、「自社整備は成田のドック部門における生産構造の中核」と 将来展望を明らかにして「JALとは違う」と、会社は職場に誇らしげに言っていました。

 しかし、当時の重整備の海外外注はコストが約3分の1、また、国内のドック部門をほぼ下請け化、同様にライン部門の下請け化も本格化し、賃金が全日空の約半分に抑えられる。誰の目からみても、低い労働条件によるコスト削減であることが明らかとなりました。

 

 2006年、当時のラインメンテナンスセンター長の発言は、「全日空の整備レベルは現在が最高値。その理由は20年以上のベテランがほとんどを占めているから。これが温存されている今のうちに全面的に委託する。この過程では、ベテランが4機種・5機種を掛け持ち、かつ(別会社の)新人を育てることになる。安全を守るのは相当大変だ。」と、整備品質の低下をまねく「自社整備体制のほぼ崩壊」であることを示していました。

 

 やがて、2015年8月、成田の重整備は、別会社になっただけではなく、その機能が全部なくなりました。

それでも、

多くの整備士は、身も心もすり減らし、あきらめず、飛行機の安全を守り続けているのではないでしょうか。 エールをおくらずにいられません。

by OB MK

 

 追伸

 「軍足」支給も、その後、なくなったもののひとつ。

 安全靴を仕事中常時履いている為、靴下の擦り減り方が尋常ではなかった。

 現場からの要望、要求でした。

 かつての全日空労組が職場といっしょに取り組み、一歩一歩勝ち取ったもののひとつ。

 

【ローカルの職場】

投稿 成田の話題 続編 2023/09/01

 

 ANA 成田ドック部門が別会社にされたのは 20067月でした。

 

1978年に成田空港が開港、1986年(昭和61年)、全日空は、国際定期便、東京/グアム線(L-1011)、東京/ロサンゼルス線(B747LR 型機)の運航開始をしました。

 

その2年後、1988年7月、成田空港支店 整備課として発足、当初、重整備は少人数で分割 C 整備(1/8 C)が行われました。

 

1995B747-400コンプリート C 整備が開始、組織人数も増え(1998年2月14日付 235名)、本格的な重整備が行われるようになりました。

 

 全日空は、1966年の B727羽田沖・YS11松山沖連続事故を契機に、重整備を自社整備に大きく舵をきりました。それほど、これらの事故は全日空の歴史の中でも辛酸をなめたつらい出来事でした。

 

そのことをふまえれば、国際線の主力として自立した「全日空成田メンテナンスセンター」で重整備が本格化したのはどうしても必要なことでした。

 

ところが、2000 年ごろからそれまでラインの客室の簡単な点検をしていた委託会社(最初

の名称は IMS)へ徐々に客室の修復依頼をはじめたのです。

そして、20034 月には、会社名を ATC として機体のドック整備および客室整備を成田にも導入し始めました。その当時、その新生産体制展開の「基本コンセプト」では、「自社整備は成田のドック部門における生産構造の中核として存在し、」 「自社の役割、責任を果たすために必要となる作業量を確保し、強い自社整備士を育成する観点から、成田におけるインハウス作業量の50%以上を自社にて実施していく」と 将来展望を明らかにし、「JALとは違う」と自社整備堅持を、職場に誇らしげに言っていました。

 

 しかし、2005-2007「新TEAM ANA」中期計画が出され、「グループ整備会社が全領域の生産の主力を担う」と、ドック整備について 「ATCにて成田のドック整備を完遂する体制構築」が明文化されました。

そして、2006 年6月31日全日空成田メンテナンスセンター(5月8日付356名)は

廃止、ドック部門が全面別会社となりました。

 

その当時発行されていた職場新聞には、「歴史の教訓を活かしてこそ安全が守れます」と

書いてあったのが思い出されます。

 

 その10年後、職場の声を無視し成田の重整備が羽田へ「完全撤退」したのは、20158月でした。

 

追伸

20034月、ATC成田導入時、ANAから教官として15名が出向し、ATC新入社員のマンツーマンでの育成をしました。その時のこぼれ話です。ドックの仕事は汗と油にまみれることが多く、力仕事で硬くなった筋肉をほぐすためにも入浴は必須アイテムでした。風呂は福利厚生ではなく、業務上必要なものでした。それが、「会社が違うから入らないこと」と、出向者も制限され、不満の声があがっていました。しかし、ATCに風呂が設置されることはその後もありませんでした。

 

 長くなりましたので、以降は続々編とします。

 

 

by OB MK

【ローカルの職場】

成田はローカルか? & 空港職場の小さな物語 2023/06/25

「うちはローカルじゃない!」とお叱りがあるかもしれません。

成田の話題を取り上げます。

 

かつて「日本の玄関」と言われ、唯一の主要国際線空港だった成田空港。

そういう意味ではローカルではなかった。首都圏という言葉が正解かも。

空港近くの畑を眺めるとまぼろしに終わった新幹線高架化跡のコンクリート柱が今でもみられる。

 

「成田国際空港」という名称は2004年、空港民営化とともに変わり、その前は「新東京国際空港」と正面玄関には掲げてありました。

 余談ですが「東京ドイツ村」「東京ディズニーランド」など千葉なのになぜ?と思います。

 

 前置きが長くなりました。

成田空港には現在もANAハンガーがあります。かつては、国際線の品質の要として重整備を行っていました。

そのANA成田ドック部門が別会社にされたのが20067月でした。そして、20158月には職場の声を無視し成田での重整備が「完全撤退」。羽田のみとなりました。

 この件の詳細は、次回以降に投稿します。

 

かつてはライン整備士もドック整備士も同じ「成田メンテナンスセンター」所属でした。ハンガーに出勤しブリーフィング(ここが始業時間扱い)、その後、全員でターミナル事務所へ移動していました。移動中、整備士同士で運航間のさまざまな有意義な情報交換も行われました。

別会社になるとターミナルにある「スカイセンター」というビル内に更衣室が設けられ、そこへ出勤して着替え、その後、各人が空港ランプ内の事務所まで徒歩で行き、その後のブリーフィング開始時が始業時間になりました。ライン整備士は、別会社化で、時間がかかることになりました。トホホです。

尚、ANAはタイムカードなど勤務時間を本人が入力する仕組みが無いため、会社に出勤はしていても、その後のブリーフィング時から勤務スタートとなります。

 ちなみに、客室乗務員には「ダイレクトシップ」という出勤制度があります。

 その制度になる前は事務所に出勤し、更衣室で制服に着替え、その後勤務開始のブリーフィングでした。「ダイレクトシップ」制度では、出発搭乗口の飛行機の前でブリーフィングが始まります。それが「出勤時間」となり、着替えその他は自宅など事前に済ませなくてはなりません。これもトホホです。

【ローカルの職場】

 那覇 続編 転勤経験者に聞いた 2023/06/15

 沖縄は世界でも屈指の海など、旅人にとっては魅力的な観光地の一つ。

そこで、旅行ではなく、転勤した経験を持つ人に感想を聞いた。

 とにかく 夏が長い。

 梅雨時(5月頃)から10月ぐらいまで、約半年は 暑い。

「ランプの作業は尋常でない暑さ。湿度も高く、一仕事で汗だくである」

北国の空港勤務をしていた人は、「雪かきがないから楽だ」と思っていた。

 ところが、この暑さで事務所に戻るとヘナヘナ座り込んでしまう。

1か月、旅人として 過ごすにはとても暖かく体がときほぐされ、まるで天国。

 しかし これが仕事で3年となれば話は別だ。

 しかし、3年が、5年、10年、と働いているうちにそれが当たり前になって来るから不思議である。「なんくるないさー」と今は「ゆっくりの作業」に心がけている。

 

 大体のひとは、今までに経験したことのない、気候、独自の文化、歴史を持つこの地の虜にすっかりなってくる。市街地の上を、軍用機が毎日爆音をたてている現実も学ぶことになる。猛烈な台風、水不足の節水生活!

「うちなーんちゅ」といっしょに「ないちゃー(内地から来た人)の私も、きれいな海を汚されないように辺野古にも行った。

 

 

追記の豆知識

『なんくるないさー』を調べてみると、ニコニコ大百科には“「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味。 単に「何とかなる」という楽観的見通しを意味しないとある。

【ショップ整備(原動機・装備品)の職場】

最近職場で小耳にはさんだこと  2023/06/08

 

原動機の職場では、春闘の時に現役世代から「物価値上げに見合った賃上げが欲しい」、

また装備品の職場では最近にない回答に「ほっとした」との雰囲気の一方で、「雇用形態

により差があることや、協力金等の対応で対象外の方もいるなどで微妙な感じ」という声

もあるということを小耳にはさみました。

 

ある日、テレビのニュースを見ていたら「大幅な賃上げでも物価上昇を上回らなかった」と

報じていて、生活は大変になる一方だなと思いました。

 

また、「定年後の再雇用中に出血性胃潰瘍で死亡したのは過重労働によるもので、労災認定された」との報道もありました。

今の各職場の状況をみると他人事ではない気がしました。

 

いずれも、働く者の声が生かされる労働組合の運動と会社の対応が必要だと感じました。

 

投稿者:OB-YTH

 

 

【ローカルの職場】

       那覇から   コロナ後の便の回復はすさまじく   2023/05/15

各地空港、職場の情報、話題などを取り上げます。

北から南に細長い日本列島

暮らしてみなければわからないこともあります。

土地の話題も交え、職場の様子も可能な範囲で盛り込みます。

お楽しみに!

 

 

投稿

まずは沖縄・那覇から

 コロナ後の便の回復はすさまじく、

春休み、GWなど全便満席状態です。

 特に、羽田からの便は頻繁に到着遅れが発生しています。

そのため、那覇からの便も連動して出発遅れが頻繁に発生する始末です。

 整備士が運航便に出向かない体制、いわゆる「ERゼロ」に沖縄もなりました。

整備士が機体に行くのは不具合があり、呼び出しがあってからです。

そこで、遅れている出発時間が迫る中での作業になります。

整備士だけではなく、客室清掃の方々やCAさんも短い便間で汗だくです。

これから夏本番どうなるのでしょうか?

OB  MK

 

追伸

 羽田の遅れが頻繁な原因は、グランドハンドリングの方々や、

手荷物検査の方々の離職による人手不足とか。

根本的な問題ですね。